映画「#白爪草」の鑑賞にはVTuberの技術面の背景を知っておく必要があるかもしれない

レビュー

どうも、kayolabo801です。

先日8年振りに映画館に足を運びまして。

最古参バーチャルYouTuberの電脳少女シロ主演の映画「白爪草」を鑑賞しに池袋HUMAXシネマズまで足を運びました。

2020年秋公開予定の劇場用映画『白爪草(シロツメクサ)』 全キャストVTuberで贈る完全書き下ろしの本格的なワンシチュエーションサスペンス 制作・配給:ホリプロ 主演:電脳少女シロ 共演声優:花京院ちえり、神楽すず、カルロ・ピノ、もこ田めめめ、ヤマト イオリ
映画『白爪草(シロツメクサ)』公式サイト - 映画『白爪草』公式サイト

元々シロちゃんのファンである私は、映画の存在を知った瞬間映画館の予約を入れ公開初日に観に行きました。

内容としてはとても面白いワンシチュエーションサスペンスで、1回の視聴では飽き足らず翌日2回目を観るほどにはハマりました。

どんな感想を述べてもネタバレになってしまうため内容の感想については割愛します。というか他の方の感想と概ね一致です。

Twitterでは「#白爪草」ハッシュタグとともに絶賛されている当映画。皆さんが口を揃えて言うのが「バーチャルYouTuberというものを知らない人でも楽しめる」ということです。

ただ、いくらこの映画が素晴らしいとはいえこの文言は多分に危険を孕んでいると私は考えます。

「物語」、「演劇」としての本作

本作の何より賞賛すべき点は脚本であると私は考えています。

コロナ禍において「映画界を盛り上げたい」という意気込みで全てがリモートで制作された本作ですが、とにかく「物語が面白い」の一言に尽きます。

先程申し上げたように少しでも内容に触れてしまうとネタバレとなってしまうため言及しませんが、 VTuberによるワンシチュエーションという映像制作においてかなり制約がある中、見事なサイコサスペンスに仕上がっていました。

※脚本の我人祥太氏がR-1グランプリ2010の「憂い」ネタの人と同一人物だと知ったのはかなり後になってからの話です。

主演のシロちゃんを始め出演陣の演技にも圧倒されてしまいました。

制作環境の前提としてあまり映像に完成度を求めることができない中、見事な演技で物語を成立させていました。

VTuberの映像技術を少しは知っている者として、見事な作品であったと自信をもって言うことができます。

しかしそれはVTuberの技術的背景を知っていたからではないかと思っています。

「映像作品」としての本作

映像作品として観ると、かなり荒が目立つ作品であったことは間違いありません。

登場人物の声の演技に対する表情変化の乏しさ、モーションがやや稚拙で効果音に注視しないとシチュエーションを掴み切れない場面など、脚本や演技の素晴らしさに映像技術が追い付いていないように感じる場面が多々ありました。

電脳少女シロの普段の活動を知っている者としては「この制約の中よく頑張った」と言えるのですが、バーチャルYouTuberの活動を知らず本作を「話題の映像作品」として観た視聴者がいたらどうでしょうか。

PIXARのような素晴らしいアニメーション技術に慣れている映画ファンからしてみれば本作の映像技術は素人のそれです。

そういう人達が本作を観れば、映像の荒が気になって物語に集中できないかもしれません。

タイトルで述べた「本作の鑑賞にはVTuberの技術面の背景を知っておく必要がある」というのはそういう意味です。

まとめ

というわけで映画「白爪草」のネタバレなしレビューでした。

本作の池袋での上映は10/2(金)までとなっているようなので気になっている方はお早めに劇場に足を運んでいただければと思います。

VOCALOIDは「世界に通用する音楽シーン」から「巨大な内輪界隈」に成り下がろうとしている

DTM 創作 隙あらば自分語り

私はVOCALOID界隈に警鐘を鳴らしたい。

どうも、kayolabo801(作曲名義はDance on Yakiudonになりました)です。

時の流れは残酷なもので、VOCALOID文化が花開いてからもう15年が経とうとしています。

そんな中でVOCALOIDという音楽シーンにも大きな変化が生じました。

懐古厨にはなりたくないので変化というものは原則受け入れる主義なのですが、どうもVOCALOID界隈は段々「音楽シーン」とはかけ離れたものとなっている気がします。

ボカロPの「表現者」化

VOCALOID黎明期に幅を利かせていたアーティストはもともと著名なコンポーザーで、彼らはVOCALOIDを楽器として「歌わせてみた」というスタンスで曲を作っていました。

元々VOCALOIDでない音楽を長く作ってきたのですから、当然作る音楽は一流です。

元々ボカロPというのは「作曲者」だったわけです。

しかしそれから少し経った2010年あたりに転機が訪れます。

曲に込められたメッセージ性、作り上げる世界観を全面に押し出したボカロPの台頭です。

彼らの曲の音楽性が悪いとは微塵も思いませんが、彼らの曲は「音楽」としてではなく「世界観込みの技巧的作品」として評価されました。

彼らはどちらかと言えば「表現者」の側面が強いと私は考えます。

それから現在に至るまで、音楽としての良さを追求するボカロPと世界観を追求するボカロPとで二分されたVOCALOID界隈が形成されていったように感じます。

しかし、有名になれるのは大抵後者です。

即ちVOCALOID曲を聴く人の需要は「音楽」よりも「世界観」にひどく比重が偏っている、そんな気がします。

VOCALOIDの「巨大な内輪界隈」化

現在でもVOCALOIDで重視されるのは音楽より世界観です。

niconicoで人気になった曲には歌詞について長文の考察が連投されるのが当たり前になりました。

深読みの楽しさを否定する気はありません。

しかしそれは「音楽」としての楽しみ方なのでしょうか。

皆さんご存知の通り今やVOCALOIDは世界中で親しまれるコンテンツとなっています。

ただ、外国のVOCALOIDファンが日本人のように歌詞の深読みで世界観に浸っているとは思えません。

彼らは純粋に「音楽」としてVOCALOIDを楽しんでいます。

このままVOCALOID界隈において技巧的に紡がれた文脈や壮大な世界観ばかりちやほやされ続けたらどうでしょうか。

VOCALOIDは日本という巨大な共同体における「内輪」コンテンツになってしまうのではないでしょうか。

これからどうすべきか

ここまで肥大化した世界観重視のVOCALOID界隈を止めようたって無理な話ですし、逆に衰退を招きかねないので止める気もありません。

ではVOCALOID界隈はこれからどうすべきなのか。

私は「もっと『作曲者』としてのボカロPにも世間が注目すべき」と考えます。

世界観重視のボカロPと音楽性重視のボカロP、供給はどちらも十分です。というか過多です。

リスナーがVOCALOID曲の「音楽」としての良さをもう少し意識してくれるだけで私の考える理想は実現します。


以上、偉そうに御託を並べたわけですが、これが「ボカロPをしながら『表現者』になれそうにない自分の嫉妬が詰まったひねくれた思想である」ということは重々承知しています。

でも最後に言わせてください。

VOCALOID曲は「音楽」なんです。

皆様が無事にさかもりできるように

創作

さかもり原画置いときますね