VOCALOIDは「楽器」か「人間」か ~”Star”に込められた真意~
2020年1月19日
どうも、絶賛バイト中のkayolabo801です。(バイトちゃんとやれ)
さて、「VOCALOID」という文化はもはや日本中どこにいても聞くほど非常にメジャーなものとなっています。
皆さんご存知のとおり「VOCALOID」はYAMAHA社が開発した歌声合成エンジンで、その中にクリプトンフューチャーメディア社の「初音ミク」、インターネット社の「GUMI」、1st Place社の「IA」等のライブラリが存在します。
VOCALOIDはYAMAHAが開発した「楽器」であることは間違いありません。
しかし、今はそれだけで括るべきではない、いや、括ってはならないのではないかと考えています。初音ミクをはじめとするVOCALOIDのキャラクターはステージの上で歌ったり自らをテーマとした曲を数多く持ったりし、「人間」として扱われているところが非常に大きいです。
MIKUECの空気に馴染めなかった自分
私は2018年の大学入学と同時に零細ながらボカロPとしての活動を開始しました。そしてその年の11月に開催された第2回MIKUECライブに感銘を受け、「VOCALOIDクリエイターとして手伝えることはないか」と思い翌年5月に運営サークルである電気通信大学バーチャルライブ研究会に入部しました。
当時の私はVOCALOIDを「楽器」としてとらえ、自分の打ち込んだ通りに歌ってくれる音声ライブラリとしか思っていませんでした。
しかし入部して目の前に現れたのは、VOCALOIDが「人間」であることを前提とした創作活動の場でした。
楽器であるはずのVOCALOIDが「生きている」扱いを受け、皆がそれに賛同する。私は強烈な違和感を抱きました。
サークルの空気に馴染めなさ過ぎて、退部を考えていた時期もありました。
初音ミクに「絶望」したボカロP
VOCALOID文化に詳しい方なら誰を指しているか一瞬で分かるかと思います。
私が先述した葛藤を繰り広げている中、マジカルミライ2019が開催されました。
マジカルミライ2019のインタビュー記事によると、彼は「偶像として自立していきボカロPのものでなくなっていく初音ミクに『絶望』した」と話しています。
彼はVOCALOIDを完全に「楽器」として扱い、「人間」として扱う文化に異を唱えたのです。
しかし、私はこの考え方に賛同すれど、ひとつ違うと思った点があります。
マジカルミライ2019テーマソング「ブレス・ユア・ブレス」の中にこのような歌詞があります。
『 今やもう 誰の目にも同じ ひとりの人間 』
初音ミクを人間として扱う文化は確かに主流ではありますが、それは「ひとりの人間」としてのものではないと私は考えます。ボカロPをはじめとするクリエイター、及びボカロ曲を聴くすべての人にそれぞれ違う「初音ミク」が存在する、というのが正しい解釈なのではないでしょうか。
以前「初音ミクと結婚する」と宣言した男性がいらっしゃいましたが、騒ぎ立てる人はごく少なかったですね。これは皆が「初音ミクのことを考えるすべての人にそれぞれの初音ミクがいる」ことを認めているという証拠に他ならないのではないでしょうか。
“Star”は私の出した結論
そんな中自分はVOCALOIDとどう向き合っていけばいいのか。ずっと考えていました。
そんな中第3回MIKUEC公式アルバムの楽曲制作が始まりました。
私はMIKUECのテーマである「ワンダーランド」を完全無視し(マジでごめんなさい)、この場で「私はVOCALOIDとこう向き合っていく」という決意を表明しようと考えました。
そしてひねり出した歌詞が「VOCALOIDを「楽器」として購入した主人公が伸び悩む再生数に苦悩するも、自分自身の役目は『自分が持て囃される』ことではなく『VOCALOIDを輝かせてあげる』ことであると気付く」というものでした。
つまりはVOCALOIDが「人間」であるという考え方に迎合したわけです。
誤解を招かないように申し上げると、私が「VOCALOIDは『楽器』である」という考えを曲げたわけではありません。
私は今、VOCALOIDを「楽器であるが、擬人化して楽しむこともできるもの」であると考えています。そして「擬人化したほうが楽しいから人間として扱ってみようか」と考えたのです。
まとめ
VOCALOIDが「楽器」であるという考え方と「人間」であるという考え方は決して相容れないものです。
しかし、それを争う必要などないのではないでしょうか。
VOCALOIDを想う人全てにそれぞれ違うVOCALOIDが居る。私はそれでいいのだと思っています。