隙あらば自分語り

失った5年、気付いた5年

隙あらば自分語り

ご無沙汰しております、東証全部退場です。

私事ですが、昨年度付で電気通信大学を中退しました。

現在はフルタイムのアルバイトで生活しています。

この記事では入学からの5年間を振り返り、学んだことや後輩に伝えたいことを記していきます。

5年間振り返り

2018年前学期 入学

2018年に前期試験で東北大に落ち、後期試験で電気通信大学に入学しました。

自分の学力からひとまわり下の大学に受かったということで、正直舐めてかかっていました。

先輩から口酸っぱく言われる「人脈を作れ」という言葉にも耳を貸しませんでした。

最大手のサークルに入っておけば大学の情報は手に入り、自助努力でどうにでもなる。そう思っていました。

それが大きな間違いだったのですが。

2018年後学期 鬱発症

不調をきたし始めたのは前期の終わり頃からでした。

前期の授業は出席やレポートに関しては概ねこなせていましたが、テスト科目に関しては勉強不足でほとんど単位を落としました。

その後、だんだん大学に行けない、家から出られない、部屋から出られない、ベッドから動けない、と段階的にひどい鬱状態に陥りました。

一番ひどい時期には寮の食堂に向かえず、何とか1日1回コンビニに向かい食事を得る毎日を送っていました。

そんな状態で後学期が始まってしまい、単位を全部落としました。

2019年 大学へ行こう

なんとかしないといけない。でも何故授業に出られないのか分からない。

当時の私は「大学に向かうことで改善する」と考え、サークルの部室に入り浸る作戦に出ました。

部室に5連泊した挙句痔になって帰ったこともありました。

ただこの目論見は外れ、大学に行けても授業には出られない1年間となりました。

ここで留年が確定し、奨学金が止まりました。

2020年 仕事をしてみよう

2020年度のサークル部長に立候補し当選しました。

丁度コロナ禍に祟られ、サークル史上初めて新入部員に恵まれない新歓を体験しました。

ここでの創意工夫や仕事を割り振るマネジメント技術、そして事務メールをシュババババと書く能力は人生の糧になっています。

部長としての責は全うしたつもりですが、肝心の授業には出られていませんでした。

2021年 他所の授業に出てみよう

親の勧めで自動車学校に入学しました。

ここで授業に出る習慣と免許を取る成功体験を得ようという魂胆です。

結果、自動車学校の出席はしっかりでき免許の試験も一発で合格しました。

ただし大学の授業には復帰できず。

2022年前学期 専門家に話を聞こう

進級のリミットが迫る中一切復帰の兆しが見えない4年間。

このまま自分の創意工夫ではどうしようもないと考え、学外のカウンセリングに通い始めました。

今までも2回ほどカウンセリングを受けたことはありましたが、具体的な相談に乗ってくれず直ぐに辞めてしまいました。

しかし今回の先生は復学に向けて具体的な相談に乗ってくれ、「自分の課題は自己マネジメント能力の欠落である」ということで当時ハマっていた紙手帳でタスク管理を徹底することにしました。

これがかなりうまくいき、1年前期に取り逃がしていた単位をほぼ回収しました。

2022年後学期 拭えなかった諦観

しかし異変はすぐに始まりました。

最後に受ける期末考査を体調不良で延期し追試を受けることになったのですが、夏休みに掛かるくらい日程が伸び、その間にモチベーションが下がり追試を欠席してしまいました。

そして後学期が始まっても不調は続き、ついに卒業可能性の掛かった単位を落としてしまいました。

妹の大学進学もあり実家から自立する必要があること、そしてもし退学するなら早いほうがいいという考えから、2022年度付で退学申請を出し、受領されました。

なにがいけなかったのか

他人に迷惑を掛けることを恐れてしまった

先ほど1年前期はテスト科目以外問題なかったと言いましたが、ひとつ例外がありました。

電気通信大学では基礎科学実験という悪名高き激重実験が1年次に課されます。

私の頃は学期ごとに10回実験をし、翌週までにレポートを紙で提出することになっていました。

9回目の実験までは順調にこなせており、10回目のレポートも期日までに書き上げました。

しかし提出当日に10回目のレポートを紛失してしまいました。

締切厳守と煩く言われていた私はその場で諦めてしまい、来年に再履修することを選びました。

向こうから提示された決まりは絶対と信じ、先生方に迷惑を掛けないために単位すら放り投げてしまいました。

発達障害に起因する強い諦観

私は幼少期からトゥレット症候群という発達障害を患っています。

自分の意図に反して断続的な体の動きや発声が出てしまう症状です。

自分の制御できない行動のせいで多方面に迷惑を掛け、理不尽も受けてきました。

そこで自分が身に着けたのが「辛いことを全て受け流してしまう」という生き方でした。

トゥレットによる諦観は寛解した後も体から離れず、「今日明日だけ頑張れば試験が何とかなる」という状況で踏ん張れない、そして試験で赤点を取る、という状況がずっと続きました。

これにあと1年早く気付いていれば何とかなったかもしれませんが、現実には卒業可能性を失いました。

中退カスなりに後輩に伝えたいこと

大学生という「人に迷惑を掛けていいラストチャンス」を存分に活用しろ

大学生のうちは自分のことを一番に考えましょう。

誰かへの迷惑を恐れて自己犠牲を払う必要はありません。

正直私は他人をダシに好成績を取る同級生を目の敵にしていましたが、彼らは院推薦に受かり私は高卒という結果を見ればどちらが正解だったかという話です。

大学は卒業した方が明らかに良い

私は今フルタイムのアルバイトで生活していますが、最低賃金に毛が生えた程度の給料です。

その癖覚えることは並みの社会人くらい多いのです。

こうなってしまったのは全て大学を中退したことによるものです。

大学での学びに満足できなかった、大学の方針に不満だ、そういった理由で退学しようとする後輩を幾らか見てきましたが、やめた方がいいです。

理想の大学生活でなくても頑張りましょう。学部は卒業しましょう。

大学落ちても人生終わらないが、大学受かっても普通に人生終わる

受験界隈によくいるのが「第一志望に落ちたから人生が終わった」と考える人です。

言わずもがなそんな訳ありません。

しかし。

大学に入った暁に何をしたいのか。

特定の分野を学びたいのか。

サークル活動に打ち込みたいのか。

はたまた就職予備校として見ているのか。

ここを見誤ると簡単に道を踏み外します。

大学に受かったから人生が安泰とは思わない方がいいです。

タラタラ語ったけど結局何が言いたいんや

妹が今年大学に進学したのですが、私より大真面目な性格であるため、我流の自助努力で潰れてしまわないか物凄く心配でした。

そこで「失敗した人間」として妹に助言できることはないか、とあれこれ考え内容をまとめ、折角だからブログ記事にしてしまおうという動機でこの記事を書きました。

手を抜け、とは言いませんが、力を抜けるところで抜いておかないとバテてしまいます。

大学生の方々、今は他人より自分を大切に生きてください。

「にじいろのうた」の歌詞はブチ切れながら書いた

DTM 創作 隙あらば自分語り

どうも、Dance on Yakiudonです。

去るMIKUEC2020、テーマソングである「ナナイロ」をななみつき氏と担当する光栄な機会を頂きました。めちゃめちゃ良い作品が出来上がってよかったです。

さて、MIKUEC2020に私はもう1曲提供しています。公式コンピ「ナナイロ」に収録された「にじいろのうた feat.音街ウナ」です。

現在YouTubeおよびniconicoに投稿されていますのでよろしければどうぞ。

MIKUEC2020のテーマは「カラフル」。にじいろのうたもそれにちなんだものとなっています。

それと同時に、にじいろとは相反して一色に染まり上がる日本のカルチャーに失望する内容でもあります。

米津玄師が嫌いである

まず、私は米津玄師の作る音楽が好きではありません。

彼の人格や経歴どうこうではなく、単純に彼の音楽が私には全く響かないのです。

だからといって私は彼の作る音楽が劣っているとは思いませんし「好き」という思いを否定するつもりはありません。

人にはそれぞれの好みがあり、時には相容れないことは分かっているつもりです。

しかし今の日本は私のような人間を許してはくれないようなのです。

大衆の評価は絶対的という傲慢

言わずもがな米津玄師は現在日本で最も人気と言っていいアーティストです。

彼の作る音楽は絶対に良い、批判する人はおかしい、何故なら大半の日本人に愛されているからーーーー そう考える人が少なからず居るでしょう。

彼らの言い分は結局「大衆が好むものは絶対的に優れている」という極めて自分勝手なものです。

そして嫌う人間を「世間と違う俺カッケー!!」などという厨二病として一括りにするのです。

世間で多様性が叫ばれる中、日本人は結局心の奥底で画一化を美徳としている、そんな気がしています。

そしてTwitterで「大衆の流行に乗れないのは『自分には本来持ち合わせている感受性も美的センスも存在しない』と自白しているだけ」という意見を目にし、遂に怒り心頭といったわけです。

そして歌詞に怒りをぶつけた

“君は今何色の絵の具で どんな生活を描こうとしてるの?”

私は多様性を色になぞらえ、歌詞を書いていくことにしました。

“違う人なら違う色 絵の具たちが混ざってカラフルになる”

人それぞれ違う好みがあるのだから、絵の具を置いたパレットは鮮やかに彩られているはずです。

“虹色に彩られた世界を 僕はさらに鮮やかにする”

自分の作品もまたひとつの多様性であり、他にない独自のものです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
“それが虹色の 一部分になれたらいいな”
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ”

自分の作品を人に見てもらうというのは、自分の絵の具を他の人のパレットに乗せる行為です。

絵の具を受け取った側は気に入れば自分の色の一部にし、そうでなければ払い捨てればいいのです。ただ作品を作る身としてはやはり前者を望んでしまいます。

“だけど今周りを見渡せば 誰も彼もが同じ色を好んで”

今の日本にフォーカスします。

日本人は日本人という集団として同じものを好みがちであり、それを逸脱した者を笑い者にするフシがあると思っています。

“七色の虹の綺麗さは もう誰も覚えてない興味もない”

多様性とは名ばかりで、はみ出し者を嗤っているじゃあないですか。

“僕は一色に染まった世界に 自分色の絵の具まいて”

そんな中でも作品を通じてできることは自分の色を表現することだけです。

“僕は歌いたい 自分の色を描き出すために”
”それが虹色を また蘇らせられるように“
“君の描く虹に 僕の曲が溶け込めるかどうか“
”分からないけれど 僕はずっと歌い続けるよ“

若干の無力感はありつつ、自分らしく表現することを辞めたくはないのです。

”僕の声が届く人なんて ほんの一握りだ“
”僕が歌ったところで 何も変わらないけど“

特に私のような零細クリエイターともなるといくら表現をしたところでかなり低い水準で限界が存在するのが事実です。

”全ての人が 違う色を持ってるこの世界で“
”自分の色を描けるのは 僕ひとりなんだ“

しかしいくら零細であろうと「独自性」というものは全てのクリエイターに備わっているものです。

”僕の曲を聞いてくれて 『好き』と言ってくれる人が“
”一人でもいるなら 僕はずっと歌い続けるよ“

極端な話、自分の絵の具を一枚のパレットに垂らすことができればクリエイターとして成功だと思っています。それが何十枚、何百枚となれば当然嬉しいですがね。

自分にしか作れない自分の作品が人から評価される、それだけでクリエイターとしての私は幸せなのです。(向上心がないと言われればそれまでですが。)

VOCALOIDは「世界に通用する音楽シーン」から「巨大な内輪界隈」に成り下がろうとしている

DTM 創作 隙あらば自分語り

私はVOCALOID界隈に警鐘を鳴らしたい。

どうも、kayolabo801(作曲名義はDance on Yakiudonになりました)です。

時の流れは残酷なもので、VOCALOID文化が花開いてからもう15年が経とうとしています。

そんな中でVOCALOIDという音楽シーンにも大きな変化が生じました。

懐古厨にはなりたくないので変化というものは原則受け入れる主義なのですが、どうもVOCALOID界隈は段々「音楽シーン」とはかけ離れたものとなっている気がします。

ボカロPの「表現者」化

VOCALOID黎明期に幅を利かせていたアーティストはもともと著名なコンポーザーで、彼らはVOCALOIDを楽器として「歌わせてみた」というスタンスで曲を作っていました。

元々VOCALOIDでない音楽を長く作ってきたのですから、当然作る音楽は一流です。

元々ボカロPというのは「作曲者」だったわけです。

しかしそれから少し経った2010年あたりに転機が訪れます。

曲に込められたメッセージ性、作り上げる世界観を全面に押し出したボカロPの台頭です。

彼らの曲の音楽性が悪いとは微塵も思いませんが、彼らの曲は「音楽」としてではなく「世界観込みの技巧的作品」として評価されました。

彼らはどちらかと言えば「表現者」の側面が強いと私は考えます。

それから現在に至るまで、音楽としての良さを追求するボカロPと世界観を追求するボカロPとで二分されたVOCALOID界隈が形成されていったように感じます。

しかし、有名になれるのは大抵後者です。

即ちVOCALOID曲を聴く人の需要は「音楽」よりも「世界観」にひどく比重が偏っている、そんな気がします。

VOCALOIDの「巨大な内輪界隈」化

現在でもVOCALOIDで重視されるのは音楽より世界観です。

niconicoで人気になった曲には歌詞について長文の考察が連投されるのが当たり前になりました。

深読みの楽しさを否定する気はありません。

しかしそれは「音楽」としての楽しみ方なのでしょうか。

皆さんご存知の通り今やVOCALOIDは世界中で親しまれるコンテンツとなっています。

ただ、外国のVOCALOIDファンが日本人のように歌詞の深読みで世界観に浸っているとは思えません。

彼らは純粋に「音楽」としてVOCALOIDを楽しんでいます。

このままVOCALOID界隈において技巧的に紡がれた文脈や壮大な世界観ばかりちやほやされ続けたらどうでしょうか。

VOCALOIDは日本という巨大な共同体における「内輪」コンテンツになってしまうのではないでしょうか。

これからどうすべきか

ここまで肥大化した世界観重視のVOCALOID界隈を止めようたって無理な話ですし、逆に衰退を招きかねないので止める気もありません。

ではVOCALOID界隈はこれからどうすべきなのか。

私は「もっと『作曲者』としてのボカロPにも世間が注目すべき」と考えます。

世界観重視のボカロPと音楽性重視のボカロP、供給はどちらも十分です。というか過多です。

リスナーがVOCALOID曲の「音楽」としての良さをもう少し意識してくれるだけで私の考える理想は実現します。


以上、偉そうに御託を並べたわけですが、これが「ボカロPをしながら『表現者』になれそうにない自分の嫉妬が詰まったひねくれた思想である」ということは重々承知しています。

でも最後に言わせてください。

VOCALOID曲は「音楽」なんです。